2024年8月放送の24時間テレビ恒例の24時間マラソンに出演予定のやす子さん。
自身が「児童養護施設にいたことがある」と明かし、マラソンで集めた募金を児童養護施設に寄付する、と話しています。
この記事ではやす子さんが児童養護施設にいた理由や、生い立ちなどを調べていきます。
9/2追記:やす子さんは24時間マラソンを完走し、4億円以上の募金が集まりました。
やす子が児童養護施設にいた理由は母親との関係悪化!
やす子さんが児童養護施設にいた理由を詳しく見ていきましょう。
やす子が児童養護施設にいた理由
やす子さんが高校生の時に、母親との関係が悪くなり、児童養護施設に入ったということです。
いつ、どのように親子の関係が悪化したのでしょうか?
やす子さんが14~15歳の時に交通事故にあい、九死に一生を得ることとなってしまいました。
この時から、母親と関係が悪化してしまいました。
やす子によると、14歳か15歳の時に「死ぬくらいの」交通事故にあり、その時から、人間関係や家庭環境も悪化。やす子は親元を離れて生活していたという。
「学費も払えなくて散々な状況でした。これ言っていいかわからないですけど、本当に人生をやめちゃおうかなって思う時がありました」と顔をしかめた。
引用元:サンスポ
やす子さんは母親との関係が悪化した理由など、詳しい話は明かしていないので当時の状況からの想像になりますが、幼いころからの極貧生活でがまんを強いられて不満がたまっていたり、反抗期もあり母親とけんかになったりしていたのではないでしょうか?
やす子さんは幼い時に両親が離婚し、母親が女手一つでやす子さんと妹を育てたそうです。
やす子さんの父親や家族構成については、こちらの記事をご覧ください。
家庭は貧しく、食べるものにも困るぐらいで大変な思いをしていました。
やす子さんは24時間テレビの制作発表記者会見で、児童養護施設にお世話になった時期があったと話していました。
やす子は会見で放映されたVTR内で「テレビでほとんど言ったことはなかったのですが、実は高校生のころ、児童養護施設にお世話になっていた時期があります。
当時は、経済的に進学も諦めなければならない状況でした」と告白。
2歳で両親が離婚し、母が働きづめだったが、経済的に厳しかったと明かした。
引用元:ORICON NEWS
やす子さんは、自身の生い立ちや自衛隊に入隊した理由など、暗い過去で周りから引かれてしまうと思って今まで話さなかったそうです。
テレビで見るやす子さんはとても明るいキャラで、壮絶な子供時代だったというのが驚きでした。
やす子さんは、どこの児童養護施設にいたのでしょうか?
やす子がいた児童養護施設の場所はどこ?
やす子さんが高校時代に入所していた児童養護施設の場所は、本人が公表していないのでわかりませんが、山口県宇部市周辺の施設を調べました。
その中でも、やす子さんの自宅から近い2つの施設を紹介します。
·清光園
やす子さんの出身中学の宇部市立西岐波中学校から、9.5km (電車で約1時間)
·小野田陽光園
中学校から、17km(電車で約2時間)
距離から見て、やす子さんがお世話になった施設は「清光園」でしょうか?
食べ物の心配がなくなったとしても、様々な子ども達との集団生活は大変だったことでしょう。
やす子さんは養護施設での暮らしについて、話していました。
パソコンが(施設に)1台しかなくて取り合ったり、テレビのチャンネル権も取り合ったりと、足りないものも多く、友だちと話が合わなかったり、遊びに行くお金も当時はなかった。
引用元:ORICON NEWS
児童養護施設でも不自由な生活だったようです。
次は、やす子さんの生い立ちについて詳しく見ていきましょう。
やす子の生い立ちが壮絶すぎる!
元自衛隊の芸人として活躍していて、人気のやす子さんの生い立ちを見ていきます。
- 1998年9月2日 山口県宇部市に生まれる
- 2歳の時に両親が離婚し、母親はシングルマザーとなる
- 小中学校の時は極貧生活で、食べ物にも困る状態
- 高校生になり児童養護施設に入るも、学校でいじめを受けて、孤立していた
- 高校卒業後、自衛隊に入隊 (2年間勤務)
- 自衛隊を辞めて清掃員の仕事に就く
- お笑いライブを観て「自分もお笑いをやりたい」と決意し、友人と芸人の道へ進む
- 2019年「ソニー·ミュージックアーティスツ」に所属。現在は人気芸人となる
やす子さんは、幼い頃から大変な思いをしていました。
生い立ちを詳しく紹介していきます。
1.幼少期
やす子さんは、1998年9月2日に山口県宇部市で生まれました。
やす子さんが2歳の時に父親が家を出て行き、音信不通となってしまいました。
母親はシングルマザーとなり、昼夜とも働いていましたが生活は苦しかったそうです。
2.小中学校時代
やす子さんと妹が成長するも、極貧生活は変わらず食べ物にも困る状態でした。
やす子さんが小学生のときは、給食の余りを持ち帰って妹と食べたり、安く売っているパンの耳を食べたりして、なんとか食いつないでいました。
中学生の時には、母親に内緒で児童養護施設に行って食べ物をもらったりしていたそうです。
やす子さんの母親はネグレストをしていたようです。詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
3.高校時代
高校生になってやす子さんは、児童養護施設に入ることになりました。
やっと食べるものに困らなくて安心しましたが、学校でいじめにあい、クラスメイトから無視され、孤立してしまいました。
やす子さんは学校で、トイレで昼食を食べたり保健室登校をしていたそうです。
卒業後の進路について、部活の先生から自衛隊を勧められて進路希望にしました。
4.自衛隊に入隊、その後芸人の道へ
やす子さんは高校卒業後に、住み込みで働ける職場を希望して、パチンコ店と自衛隊の就職試験を受けました。
パチンコ店は残念ながら面接できずに落ちてしまい、自衛隊に入隊したそうです。
「生きるために自衛隊に入った」生活が苦しかったため「衣食住そろう」ことが就職の決め手だったと告白。
引用元:スポニチアネックス
自衛隊で2年間勤務して、ある日「辞めよう」と思い退職しました。
その後は清掃員として働き始めましたが、お笑いの舞台を観て「人を笑わせる仕事がしたい」と決意し、友人に誘われたこともあり、芸人になりました。
尊敬している芸人は事務所の先輩のハリウッドザコシショウさん。その影響もあると思います。
引用元:マイナビ転職
やす子さんは、最初は友人とコンビで漫才をしていましたが、ある日突然に相方と連絡が取れなくなり、ピン芸人としてやっていくこととなりました。
2021年に「おもしろ荘」でブレイクしました。
やす子と言えば、2021年の元旦に放送された『ぐるナイおもしろ荘2021新年SP』(日本テレビ系)に出演して知名度が上昇。
引用元:ORICON NEWS
今ではテレビで見ない日はないぐらい人気者ですね!
チャリティーマラソン、がんばって下さい!
まとめ:やす子が児童養護施設にいた理由は母親との関係悪化!生い立ちが壮絶すぎる!
明るく元気なやす子さんですが、こんなに壮絶な生い立ちだったとは驚きました。
つらい思いをしたから、人の気持がわかって気遣えるのでしょうね。
24時間マラソンや、これからの活躍を応援しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。